tokei-v創業者の根本謙三に創業を決意させたのは、太平洋戦争の勃発を知らせるラジオ放送でした。1941年の個人創業から現在に至るまで、根本特殊化学株式会社は時計の製造に携わり続けてきました。弊社にとって時計事業は創業のDNAを受け継ぐ、原点ともいえるものです。

夜光とは、文字通り夜の闇の中で光る光です。蓄えた光を放出する性質である残光性を持つ蛍光体(蓄光顔料)をインクに混ぜたものを夜光塗料と言います。創業当時の蓄光顔料の残光性は弱く、ラジウムなどの放射性物質を混ぜ、これが発するアルファ線で蓄光顔料を常時刺激することで発光させていました。謙三は灯火管制でこの夜光塗料の需要が拡大すると考えましたが、戦中は航空機や潜水艦の計器への塗装などほぼ軍需に限られ、一般家庭でその光が活用されることはありませんでした。その結果、終戦とともに謙三は一度仕事を失うことになります。

しかし、それは今度こそ一般家庭に夜光の輝きをもたらすチャンスでもありました。謙三は夜光塗料を文字盤の数字部分と針先に塗ることで、夜中でもいまは何時かが分かるようにすることを考え付きます。そのアイデアを持って、謙三は時計メーカーの精工舎に「時計の文字盤に夜光を塗らせて欲しい」と持ちかけました。そうして精工舎から文字盤を受け取っては自宅横の小さな作業場で加工をし、それを納品する仕事が始まりました。復興とともに一般家庭用時計の生産数は飛躍的に伸び、それに伴い仕事量は増大しました。謙三は自身が魅せられた夜光の光を、平和な世の中で、広く使ってもらえるようになったのです。また、劣化して使用できなくなった蓄光顔料の再生技術を独自に確立したこともあり、謙三は順調に事業を拡大していきます。

1948年に合資会社根本光化学研究所を設立、1962年には根本特殊化学株式会社へ改組し、現在の社名となりました。2012年6月の組織改編で、根本特殊化学株式会社は各事業をグループ会社に承継させましたが、創業以来のコア事業である時計事業だけは我が社に残しております。弊社は今後も国内外の時計メーカーと協力し、より求められる時計用製品の開発・加工を行ってまいります。

<従来の夜光>

初期の夜光塗料は硫化亜鉛蓄光顔料を、ラジウムなどの放射性物質によって常時刺激し、発光させているものでした。その後、1954年の第五福竜丸事件を契機に放射線障害の危険性が認知されるようになり、放射性物質の取り扱いについて法整備が進み、弊社は法令順守を徹底しながら事業を続けてまいりました。
1960年にはより放射線量が少なく、安全に使用できる放射性同位元素プロメチウムで発光させるN発光を開発、1962年から量産化し、実際にお客様に使用していただくようになりました。また、1973年には硫化亜鉛蓄光顔料自体を改良したGSS(長残光性硫化亜鉛蓄光顔料)を開発。1970年代に入り国内の時計メーカーが中国に生産拠点を移転するのに伴い、弊社も1978年に香港に合弁会社を設立し、以来海外展開を進めております。

<ネモトのコア技術>

「夜光塗料技術」こそ、当グループのコア技術です。ネモトグループは「夜光塗料技術」から独自技術を培い、グローバルに事業展開してまいりました。創業から70年以上を経て、蓄光顔料の製造は蛍光体製造技術として株式会社ネモト・ルミマテリアルへ、蓄光顔料を輝かせる放射性物質を扱う技術はネモト・センサエンジニアリングとネモト・サイエンスへ、そして夜光塗料を時計の文字盤に印刷・塗装する技術は株式会社ネモト・プレシジョンへとそれぞれグループ会社に受け継がれ、ネモト製品は世界中で使われるようになっております。

<N夜光の開発>

1993年、弊社は画期的な新規蓄光顔料N夜光の開発に成功しました。念願の放射性物質フリーであるだけでなく、従来の硫化亜鉛蓄光顔料に比べ10倍明るく光り、10倍長く光り続けるこの新規物質はまさに「夢の夜光」でした。このN夜光は放射性物質からの脱却を国内時計メーカーが志向する中、時計事業を継続するという強い意志がもたらした大発見でした。N夜光は国内外で歓迎され、時計部品だけでなく様々な用途に活用されるようになっています。N夜光は1993年日経優秀製品・サービス賞最優秀賞や、大河内記念技術賞を受賞しています。
N夜光は数年でそれまでの放射性物質を使用していた夜光塗料に置き換わりました。また、放射性物質を使わなくなったことで、時計文字盤の数字の部分だけでなく、文字盤全面に夜光加工を施すことも出来るようになりました。
世界的な時計生産国であるスイスには、現地会社との合弁会社を設立し、スイス国内時計業界に専用グレードのN夜光を製造・販売しております。